一票の格差に反対のブログ

民主主義のブログです。

私が恐れているのは、10増10減を廃案にすれば、戦争に成らないかということです。


そういえば、日本は過去に、アメリカと戦争しても勝てる言うて、アメリカと戦争する大博打を打った事が有りました。再び、戦争に成るか、成らないか、10増10減を廃案にして、大博打を打ちますか。歴史は繰り返すとは良く言ったものです。

「信無くば立たず」政治は国民の信頼なくして成り立つものではない。
孔子は、政治を行う上で大切なものとして「軍備」「食糧」「民衆の信頼」の三つを挙げ、中でも重要なのが信頼であると説いた。

現在、岸田内閣は軍事費を大幅に増額していますが、それは最近のロシアとウクライナでの戦争や、台湾と中国との戦争の可能性から当然だとしても、岸田内閣に国民の信頼が無かったら、軍備を増強しても無駄です。

ウクライナがロシアを相手に、あれだけ戦えているのは、ゼレンスキー政権がウクライナ国民から信頼されているからです。だからゼレンスキー大統領がウクライナ国民に「命を捨てて戦え」と言っても、ウクライナ国民は応じるのです。

岸田内閣が日本国民から信頼されていなかったら、日本が攻められた時、岸田首相が日本国民に「命を捨てて戦え」と言っても、日本国民は応じません。誰が私利私欲の政権の為に戦いますか?

少なくとも私は戦いませんね。誰が私利私欲の自民党政権を維持する為に戦いますか?

そんなアホが居るなら顔を見てみたいです。太平洋戦争当時は民主主義とは呼べませんでしたが、一票の格差も有りませんでした。当時は国民全て、平等に徴兵に応じました。「平等」「公平」が重要なのです。当時には平等、公平が有りました。現在は一票の格差が有るので、平等、公平とは言えません。国民の権利や義務が不平等だったら、そんな国を守る為に誰が戦いますか?

東条英機について言えば、少なくとも彼に汚職は有りませんでした。その点は自民党政権よりも優れています。東条英機汚職がなく、国民を平等に徴兵したから、東条英機に多くの国民は従ったのです。

自民党が再び国民からの信頼を取り戻すには、脇雅史(わきまさし)・前参議院選挙制度協議会座長に総理大臣に成ってもらうしか有りませんね?

脇雅史(わきまさし)・前参議院選挙制度協議会座長のような骨の有る議員は、他に自民党には居ないからです。脇雅史氏は、汚職疑惑の有る、森喜朗から「もう君の椅子は無いよ」と言われて辞めさせられました。
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脇氏、選挙制度改革で自民全参院議員に「目を覚ませ」 執行部は「何を言っているのか…」
2014/9/27 05:00

 参院の「一票の格差」是正に向けた与野党選挙制度協議会の座長を務めた自民党脇雅史(わきまさし)前参院幹事長が「参院自民党よ目を覚ませ」と題し、選挙制度改革に消極的なのを批判する文書を自民党の全参院議員に配っていたことが26日、分かった。これに対し、溝手顕正参院議員会長ら参院執行部は黙殺する構えだ。

 脇氏が文書を配ったのは24日。最高裁が平成24年に「違憲状態」と判断した、「一票の格差」が最大5倍となった22年の参院選を引き合いに出し、「参院は、国民に対して一日も早く、抜本的改革の姿を明らかにする責務を負っている」と明記した。

 その上で「参院自民党のかなりの数の議員がこのことを自覚していないのは、恐るべき怠慢だ。一刻も早く自覚すべきだ。そうでなければ、参院自民党は国民の支持を失い、政治は再び混乱を引き起こすこととなりかねない」としている。

 溝手氏は26日の執行部会で「着実に議論を進めていきたい」と語ったが、脇氏の文書に関しては、産経新聞の取材に「ノーコメント」。周囲には「何を言っているのか分からない」と不快感を示した。

 参院自民党は24日に幹部らで協議したが、脇氏が示した、合区対象を22府県から10県に減らした案にも反対意見が出た。10月31日の次回の与野党協議会で自民党案を示す予定だが、見通しは立っていない。

 与野党協議会の新座長も決まっていない。座長は協議会メンバーから山崎正昭参院議長が指名して決まる。溝手氏は19日、脇氏の座長辞任願提出を待たずに、脇氏をメンバーから外す変更届を参院事務局に出した。(村上智博)

「私が恐れているのは、10増10減を廃案に」の質問画像

日本民族は偉大であると、何故言えるのか?

現在、Y染色体ハプログループD1a2a(D-M55)は、日本列島で観察され、日本人の3割から4割が、このY染色体保有している。


しかし、これは誤解されやすい言い方です。「日本人の3割から4割が、このY染色体保有している」という言い方には問題が有ります。なぜなら女性の事を考えてないからです。日本人の5割は女性です。その女性は当然の事ながら、Y染色体保有していません。

従って、日本人の5割は、このY染色体ハプログループD1a2aを最初から保有していないのです。そして、日本人の3割から4割が、このY染色体保有しているということに成ると、残りの1割から2割が、別なY染色体保有している事に成ります。

しかし、この理解は間違いでしょう。正しい言い方は「日本人男性の3割から4割が、このY染色体保有している」だと思います。従って日本人男性の6割から7割は別なY染色体保有している事に成ります。

つまりY染色体ハプログループD1a2aを保有している日本人男性は少数派です。おそらく、私自身も、確率から言って、Y染色体ハプログループD1a2aを保有していないでしょう。

ここで、再び別な誤解をされそうなのですが、ただ単に、このY染色体ハプログループD1a2aを持っているだけで、日本人が偉大だと言っているのではありません。もし、日本人が、このY染色体ハプログループD1a2aを持っている事で、偉大だとすれば、日本人男性のわずか3割から4割しか、このY染色体を持っていないのは少な過ぎる、この割合を上げなければならないという話に成ってしまいます。私の言う「日本民族の偉大さ」はそんな事では有りません。

そもそも「日本民族の偉大さ」とは何でしょうか?

それは他の民族との比較で語るしか有りません。偉大か、偉大ではないかは、結局、他者との比較の問題だからです。では、日本民族は、半島や大陸の民族と比べて、どこが偉大なのでしょうか?

それには日本民族と半島や大陸の民族との違いを見つけなければなりません。日本民族と他の民族との違いは、日本民族Y染色体ハプログループD1a2aを持っているという事です。確かにこのY染色体日本民族しか持っていません。

しかし、先にも言ったように、ただこれだけでは偉大だとは言えません。下の図はY染色体ハプログループDの分布図です。図で分かるように、Y染色体ハプログループDは日本とチベット高原に集中しています。

しかし、日本の人口は1億3千万人ですが、チベットの人口は、わずか350万人に過ぎません。従って世界のY染色体ハプログループD保有者は日本列島に集中していると言ってよいでしょう。

何故、Y染色体ハプログループDの保有者は、このように、偏って住んでいるのでしょう?
考古学的にはY染色体ハプログループDの保有者は、人類の歴史では、早い段階でアフリカから東アジアに到達したと考えられています。

Y染色体ハプログループDの保有者が最初に東アジアに到達した民族だとすれば、わざわざ住みにくいチベット高原なんかに好き好んで住むはずが有りません。大陸でY染色体ハプログループDの保有者が生き残れたのはチベット高原だけですが、その理由は、チベット高原が住みにくい土地で、わざわざ奪い取って住むには値しない土地だったからです。

つまり、こういう事です。Y染色体ハプログループDの民族は、東アジアに最初に到達し、東アジア各地の、広い地域に住んでいたが、そこに、後から別なY染色体ハプログループを持った民族、例えば、現在、中国で最も多い、Y染色体ハプログループO2の民族が侵入して来て、その結果、Y染色体ハプログループDの民族は、追い立てられ、あるいは民族浄化されて、チベット高原と日本列島にしか住んでいない。

実のところ、現在でもY染色体ハプログループDの保有者の住む地域には、別なY染色体ハプログループを持つ民族の侵入が続いています。日本も例外ではないです。

しかし、それらの事は「日本民族が偉大である」理由には成りません。日本民族が偉大な理由は、日本においては、半島や大陸で起こったような民族浄化が起こらなかった事です。

日本列島はチベット高原と違って、住むに値する、住みやすい土地ですから、民族浄化が起きても不思議では有りません。つまり、Y染色体ハプログループDの保有者など全滅していても不思議ではないのです。

しかし、日本ではそのような民族浄化は起きませんでした。日本人男性の3割から4割がY染色体ハプログループDを持っている事がその証拠です。

つまり、日本では他の国で起きたような民族浄化が起きなかった。他の国では浄化されたY染色体ハプログループDの保有者が、今でも3割も4割も居て、平和的に共存しているという事実。これこそが日本民族の偉大さの証拠なのです。
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ハプログループD-M55 (Y染色体)とは、分子人類学で用いられる、人類のY染色体ハプログループDのサブクレード(細分岐)の一つで、「M55」の子孫の系統である。

3.5-4万年ほど前に日本列島で誕生したと考えられ、現在日本人の3割ないし4割がこのハプログループに属している。

概略
ハプログループD1a2a(D-M55)は、日本列島で観察される。日本人の約32%[4] - 39%[5]にみられ、沖縄や奄美大島では過半数を占める。アイヌの80%以上[6]もこれに属する。ハプログループD1a2aは、日本で誕生してから3.8-3.7万年ほど経過していると考えられている[7]。

東アジアの他地域ではD1a1がチベット人の最大49%、ヤオ族の1.6%観察され、D1a2bはアンダマン諸島南部(オンゲ族、ジャラワ族)でサンプル数は少ないものの100%[8][9]を占める。

さらにD1aの姉妹型のD1bが台湾やフィリピンのマクタン島で見つかっている。

その他、詳細な系統は不明だが、ハプログループD1に属するタイプはマリアナ諸島グアム島で島民の17%にみられる[10]。

なお、D1a2a系統とこれらの他のハプログループDのサブクレードとは概ね5万3千年以上[11]の隔絶があり、他のハプログループと比べてサブクレード間でも近縁とは言えず、親グループ間並の時間的距離がある。

歴史
日本へ至るまで
現生人類の誕生後、Y染色体アダムからハプログループAやハプログループBの系統と、いわゆるユーラシアン・アダムの子孫たちを含むグループとに人類は分化していった。

後者の中から一塩基多型の変異(いわゆるYAPと言われる痕跡)が、約6.5万年前頃にアフリカ大陸の北東部(現在のスーダンからエチオピア高原の辺り)において生じた。

これがハプログループDとハプログループEの親グループである、ハプログループDEである。さらにその子系統であるハプログループDは、アフリカにおいて既に発生していたと考えられる[12]。

ハプログループDの子系統のうち、ハプログループD2はアフリカに留まり、ハプログループD1が出アフリカを果たした。(一方で、ハプログループDEはアジアで発祥したという異説もある[13][14]。)

ハプログループD1[15]は、ハプログループCFとともに、現在アフリカの角と呼ばれる地域から、現生人類としては初めて紅海を渡ってアフリカ大陸を脱出した。

アラビア半島の南端から海岸沿いに東北に進みイラン付近に至った。さらにイラン付近からアルタイ山脈付近に北上したと推定される。

ハプログループD1のうち、東進して日本列島に至り誕生したのがハプログループD1a2aであり、アルタイ-チベット付近にとどまったグループから誕生した系統がチベット人に高頻度のハプログループD1a1である[16]。

アリゾナ大学のマイケル・F・ハマーは「縄文人の祖先は約5万年前には中央アジアにいた集団であり、彼らが東進を続けた結果、約3万年前に北方オホーツクルートで北海道に到着し、日本列島でD1a2aが誕生した」とする説を唱えた[17]。

崎谷満はハプログループD1a2が華北を経由し九州北部に到達し、日本列島でD1a2aが誕生したとしている[16]。

日本到達以降
当時無人の日本列島に到達したハプログループD1a2系統は[18]、海洋資源に恵まれ、温暖であったため日本で繁栄した。

大陸と半島から弥生人が日本列島にやってくるまでの約3万5,000年間に、日本列島においてハプログループD1a2の中からハプログループD1a2aが誕生したと考えられる。

日本民族は偉大であると、何故言えるのか?