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ウクライナの神風ドローンボートは日本の特攻兵器「震洋」の真似ですよね?


震洋と共に運用された陸軍の攻撃艇マルレについては四式肉薄攻撃艇を参照。日本軍は四式肉薄攻撃艇(マルレ)とマル四(震洋)をあわせ、マル八と呼称した

速力は最低20ノット以上、30ノットを目指した。爆装については炸薬量を250kgに減らした上で直ちに試作にかかった。

心配だったのは震洋搭乗員の志願者が集まるかという点であったが、思ったより多かったため安心したという。

アメリカの資料によると、終戦まで連合国の艦船の損害は4隻だった。

終戦後の1945年8月16日、高知県で第128震洋隊に出撃命令が下され、準備中に爆発事故が起こり111名が死亡した。

同年8月19日には鹿児島県笠沙町(現南さつま市)片浦にあった第124震洋隊有田部隊で信管の処理作業中に暴発して8人が死亡し、

1944年12月23日にはフィリピンのコレヒドール島に配備された第9震洋隊で24隻が爆発して100名が死亡し、

奄美大島に配備された第44震洋隊でも爆発事故で約30名の死亡者を出している。

震洋はトラックエンジンを搭載していたが、ラジエーターやファンがなく、冷却水として海水を直接ポンプで汲み入れ、エンジン熱を吸収後に海洋放出していたが、エンジンの作動は陸上で行われることが常態化していたたため、爆発事故の頻発に繋がったと考えられている。

第一三二震洋隊では終戦玉音放送後に出撃命令が出されたが、これは司令部の少佐が配下の部隊に独断で命令したものであったため、同隊隊長渡邊國雄中尉は「それは少佐殿個人の考えですか。それとも司令の命令ですか。司令の命令ならともかく何の連絡も受けていませんので今日のところはお引き取り下さい」と言い、隊員らにも「無駄死にするな。その力を新日本再建のために最大限努力するのが唯一の道ではないか」と諭した。

同様の事は第一三四震洋隊長半谷達哉中尉も行った。彼らが暴走しなかったのは慶應義塾大学卒の一般大学出身で軍隊以外の社会を知っていたからと言われ、隊員のその後の面倒も見ている。

震洋の戦死者は2,500人以上である。

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