一票の格差に反対のブログ

民主主義のブログです。

テロをやった木村隆二容疑者は吉田松陰先生の言う「志」を立てたんですよね?


1.具体的には、18歳以上なら誰でも国政選挙に立候補できるようにする事。

2.金が有っても無くても、誰でも立候補できるようにする事。現状では立候補するのに、300万円の供託金が必要です。

欧米の多くの国と台湾は、18歳以上で、供託金はゼロか、例え必要でも10万円程度の供託金で立候補できます。世界的には日本の年齢と供託金は異常な高さです。

木村隆二容疑者は、この日本の現状を憂い、これではいかん、日本国民にも欧米と台湾と同等な選挙権が与えられるべきだと、志を立て、日本国民の為に、私利私欲を捨てて、今回のテロを決行したのですよね?

一旦、志を立てた以上は、後は日本の偉大な思想家である吉田松陰先生の言葉に従って、只、目標に向かって駆けるのみです。我に続く者が居るかどうかは、我の問う所に非ず。只、駆けよ、敵は幾万居ようとも恐れるに足らず、只、ひたすら駆け、単騎突入せよ。それが鎌倉武士以来の日本国の武士の伝統です。
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吉田松陰先生の言葉

夢なき者に理想なし、
理想なき者に計画なし、
計画なき者に実行なし、
実行なき者に成功なし。
故に、夢なき者に成功なし。

小人が恥じるのは自分の外面である、君子が恥じるのは自分の内面である。
人間たる者、自分への約束をやぶる者がもっともくだらぬ。
死生は度外に置くべし。
世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。
武士の心懐は、いかに逆境に遭おうとも、爽快でなければならぬ。
心懐爽快ならば人間やつれることはない。

道を志した者が不幸や罪になることを恐れ、将来につけを残すようなことを黙ってただ受け入れるなどは、君子の学問を学ぶ者がすることではない。

平凡で実直な人間などいくらでもいる。
しかし、事に臨んで大事を断ずる人物は容易に求めがたい。
人のわずかな欠陥をあげつらうようでは、大才の士は、もとめることが出来ない。

志定まれば、気盛んなり。

決心して断行すれば、何ものもそれを妨げることはできない。
大事なことを思い切って行おうとすれば、まずできるかできないかということを忘れなさい。

君子は何事に臨んでも、それが道理に合っているか否かと考えて、その上で行動する。
小人は何事に臨んでも、それが利益になるか否かと考えて、その上で行動する。

敵が弱いように、敵が衰えるようにと願うのは、皆、愚痴もはなはだしい。
自分に勢いがあれば、どうして敵の勢いを恐れようか。
自分が強ければ、どうして敵の強さを恐れようか。

至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり。

世の中には体は生きているが、心が死んでいる者がいる。
反対に、体が滅んでも魂が残っている者もいる。
心が死んでしまえば生きていても、仕方がない。
魂が残っていれば、たとえ体が滅んでも意味がある。

死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし、生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。

奪うことができないものは志である。

成功するせぬは、もとより問うところではない。
それによって世から謗されようと褒められようと、自分に関することではない。
自分は志を持つ。
志士の尊ぶところは何であろう。
心を高く清らかにそびえさせて、自ら成すことではないか。

賞誉されて忠孝に励む人は珍しくない。
責罰されてもなお忠孝を尽す人物こそ、真の忠臣孝子である。
武士たるものが覚悟すべきこと、実にこの一点にある。

思想を維持する精神は、狂気でなければならない。

英雄はその目的が達成されないときには悪党や盗人とみなされるものだ。
世の中の人から馬鹿にされ、虐げられたときにこそ、真の英雄かどうかがわかる。

法律をやぶったことについてのつぐないは、死罪になるにせよ、罪に服することによってできるが、もし人間道徳の根本義をやぶれば、誰に向かってつぐないえるか、つぐないようがないではありませぬか。

人間が生まれつき持っているところの良心の命令、道理上かくせねばならぬという当為当然の道、それはすべて実行するのである。

満開となれば、やがて花は落ちる。
太陽は南中すれば、やがて陰りはじめる。
人は壮年を迎えれば、やがて老いていく。
百年の間、必死で勉強すべきであり、ゆったりとくつろぐ暇などない。