つまり、イジメは必要だから無く成らないのだと考えるのが自然だろう。イジメが必要ではないものならば、とっくに無くなっているはずだ。
ブラジルの原住民は、中絶手術など知らないから、生まれた子供を育てられないと考えると、生きたまま、アリに食べさせてしまう。これは、明らかに究極の弱者に対するイジメだが、江戸時代には、同じような事が日本でも行われていた。
さらに、ブラジルの原住民は、年老いて働きが悪くなった叔母に、後ろから忍び寄り、叔母の頭を棒で叩き殺してしまう。同じような叔母殺しは、江戸時代には日本でも行われていて、「姨捨山」という言葉で残っている。
何故、こんなイジメをやるのかと言うと、部族が集団で生き残るには必要だからである。それをしなかったら、部族ごと滅んでしまうからだ。つまり、イジメは必要不可欠なのだ。
これがイジメが無く成らない理由であり、これは基本的には現在でも変わらない。従って、学校でイジメを無くそうとしても無理なのだ。何故なら、イジメは学校の存在理由だからである。
イジメをするのを目的として学校は設立されたのである。イジメの為に学校は有るのである。従って、学校でイジメが起こるのは当然である。違うと言うなら反論してみよ。できはしまいが。
すなはち、学校のみならず、会社でも、社会でもイジメは存在するのであるが、イジメによって、その集団、社会、国家は強く成り、イジメによって、弱者を切り捨て、滅ぼす事で、国家は、他の国家との生存競争を生き残って来たのである。
違うと言うなら、現実を見て見るが良い。ウクライナでの戦争が見えないのか?イスラエルでの戦争が見えないのか?これらは、国家が生き残る為の戦いであり、戦争が無く成らないように、イジメも無くなる事は無いのである。
イジメは何故、必要なのか?
イジメは悪い事だから無くすべきだ、と言うのは、今までさんざん議論されてきた事である。しかし、それでも無くならないのは、無く成らないだけの理由が有るからだ。