一票の格差に反対のブログ

民主主義のブログです。

日教組の言うてる事は、バカすぎませんか?

「戦前戦中の教職員は、国家の言うがままの「教育」によって、教え子たちを戦場に送ったという歴史をもっています」

是は、その通りなんでしょう。しかし、その責任を、「日の丸、君が代」に押し付けるのは違います。責任を問われるべきは、あくまでも、教職員であって、「日の丸、君が代」ではありません。

例えて言えば、車で交通事故を起こし、人を殺したとしても、その責任は、その車を運転していた者に有るのであって、車には有りません。

それと同様に、戦時中に、「日の丸、君が代」が利用されたとしても、その責任は、それらを利用した人間に有るのであって、「日の丸、君が代」には有りません。「日の丸、君が代」に責任が有るというのは、罪を他者に擦り付けて、自らの責任を逃れようとする、卑劣な行為です。故に、日教組は恥を知るべきですよね?

同様に、「君が代は、その歌詞の内容と果たしてきた歴史的役割からして、主権在民憲法原理と教育基本法の民主的教育理念を否定するもの」という主張も、一方的な解釈に過ぎません。是も、また、他者に罪を擦り付けて、自らの責任を逃れようとする姑息な手段です。

「日の丸」が明治憲法下の天皇国家主義によって侵略と差別・抑圧のシンボルとして扱われてきた歴史的事実があるとしても、是も、また、「日の丸」が過去に道具、手段として利用されたと言っているにすぎず、だから「日の丸」に責任が有るとか、罪が有るというのは愚か者が言う事です。

繰り返しますが、是も、また、車で事故を起こした者が、車が有るから事故が起こった、俺には責任が無いと言ってるのと同じです。全く、日教組の愚かさ、馬鹿馬鹿しさには、あきれ果てますよね?
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https://kokuminrengo.net/old/1999/199907-demo-td.htm
「日の丸」「君が代」法制化反対

日本教職員組合書記長 戸田 恒美

 法制化は憲法の否定

 「君が代」は、その歌詞の内容と果たしてきた歴史的役割からして、主権在民憲法原理と教育基本法の民主的教育理念を否定するものであり、君が代を国歌とすることには反対です。

 「日の丸」については、国の標識として国内外で使われてきたことは事実で、これを否定するものではありません。しかし、「日の丸」が明治憲法下の天皇国家主義によって侵略と差別・抑圧のシンボルとして扱われてきた歴史的事実があるわけで、「日の丸」を国旗とすることには反対です。

 3点目は、「日の丸」「君が代」を学校教育に強制的に持ち込むことは、日本国憲法主権在民、人権、思想信条の自由、信教の自由などはもちろん歴史認識にもかかわるので、強制することは許されません。

 これまで政府は、この問題を教育問題として扱ってきました。学習指導要綱を根拠に、卒業式や入学式に「日の丸」「君が代」を強制してきました。そのため日教組対文部省、現場では教職員対校長という構図となっていました。しかし、法制化ということになれば、単に文部省と教育現場だけの問題ではありません。日本国民はもちろんのこと、日本に住むすべての人々の問題です。法制化によって、国家が国民の心の中にまで入り込む思想信条の問題になりました。

 日教組が、「日の丸」「君が代」問題に敏感にならざるを得ないのには理由があります。戦前戦中の教職員は、国家の言うがままの「教育」によって、教え子たちを戦場に送ったという歴史をもっています。子供たちに、日本の軍国主義を賛美し、天皇のための死こそが人生の目的だと信じ込ませました。戦後、日教組を結成したとき、この慚愧(ざんき)の思いと痛恨の反省から「教え子を再び戦場に送るな」と誓い合いました。