一票の格差に反対のブログ

民主主義のブログです。

日本が真珠湾を攻撃した当時、日本はドイツがイギリスに勝ち、ソ連にも勝つと信じていたんですよね?


ドイツを早く勝たせる為に、ウラジオストクを機雷で封鎖すれば良いでしょう。アメリカからの支援物資がソ連に届かなくなるからです。何も、真珠湾を攻撃する必要は無かったのです。

しかし、現実には、何故か、当時の日本政府は、真珠湾を攻撃して、ウラジオストクは封鎖しませんでした。その結果、アメリカから支援物資が続々とウラジオストクに届き、その結果、ドイツはソ連に負けてしまいました。当時の日本政府は、実に愚かな事をしたものだと思いませんか?

ちなみに、アメリカからソ連への支援物資は莫大です。そりゃあ、是だけ支援を受けたら、ソ連が勝って当たり前です。

ソ連は鉄道輸送に強く依存していたが、兵器生産に必死であったため、戦争期間中には製造途中だった92両しか機関車を生産しなかった。この点で、アメリカの支援した1,981両の機関車の意味が理解できる。ちなみに寄せ集めではあるもののソ連は開戦前に約2万5,000両の機関車を保有していた。

同様に、ソビエト空軍は18,700機の航空機を受け取り、これはソビエトの航空機生産の14 %、軍用機の19 % を占めていた。

赤軍の戦車のほとんどはソ連製であったが、アメリカからM3軽戦車、M3中戦車、M10駆逐戦車などが貸与され、特にM4中戦車はその性能と信頼性の高さからエリート部隊である親衛戦車師団機甲師団)に優先配備された。

イギリス(一部カナダ製)からはバレンタイン歩兵戦車、マチルダ歩兵戦車、チャーチル歩兵戦車などが貸与され、特にイランルートで送られて来たものは、自国製戦車の補給が滞った1942年の東部戦線南部で貴重な戦力となった。

兵站も何十万両ものアメリカ製トラックによって支援されており、1945年の時点で赤軍に配備されたトラックの、ほぼ3分の2はアメリカ製であった。ジープやダッジ 3/4 トントラック(WC シリーズ)、スチュードベーカー 2.5 トントラックは、独ソ戦において両陣営が使用した同クラスの輸送車輌の中では、最良といえるものであった。

また電話線、アルミニウム、缶詰(SPAMポークビーンズ)、毛皮のブーツなども同様に重要で、特に後者の供給はモスクワの冬期防衛にとって重要な利点となった。

なおレンドリースで供給された兵器は生産性向上とコスト削減のためにアメリカ本国仕様よりもデチューン(性能低下や簡略化)された物が多い。例えばM2/M3ハーフトラックはレンドリース用に装甲板の材質を落として構造を簡素化した仕様の M5 / M9 が製造され、M4中戦車もエンジンの評判の良かったA3型はアメリカ陸軍に優先供給して他のタイプがレンドリースに回されたが、それでも当時のアメリカの優れた工業生産技術により他連合国の同種兵器に比べて遙かに信頼性が高く、おおむね高評価を得ていた。

レンドリースは、特にヨーロッパ戦線においてアメリカに参戦をもたらす重要な一因となった。ドイツがアメリカに対して1941年12月11日に宣戦布告するに際して、ヒトラーはレンドリースプログラムとそれが連合国の戦争を支援する重要性について言及している。

レンドリースプログラム開始から1945年9月30日までの間にソ連に対して出荷された軍需物資の合計を以下の表に示す。

航空機 14,795機
戦車 7,056輛
ジープ 51,503輛
トラック 375,883輛
オートバイ 35,170台
ラクター 8,071台
銃 8,218
機関銃 131,633丁
爆発物 345,735 トン
建物設備 10,910,000 ドル
鉄道貨車 11,155輛
機関車輛 1,981
輸送船 90隻
対潜艦 105隻
魚雷艇 197隻
舶用エンジン 7,784基
食糧 4,478,000 トン
機械と装備品 1,078,965,000 ドル
非鉄金属 802,000 トン
石油製品 2,670,000 トン
化学物質 842,000 トン
綿 106,893,000 トン
皮革 49,860 トン
タイヤ 3,786,000
軍靴 15,417,001 足

輸送は北極海の輸送船団、ペルシア回廊、太平洋ルートで行われた。太平洋ルートはレンドリース援助のおよそ半分が運ばれ、アメリカ西海岸からソ連極東へ輸送船団で、ウラジオストクからはシベリア鉄道で運ばれた。