一票の格差に反対のブログ

民主主義のブログです。

議員定数配分は人口だけが唯一絶対の基準ですよね?


一票の格差1.01以下という事は、人口だけが議員定数配分の唯一絶対の基準だからです。
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一人一票運動の歴史的再検証

いわゆる議員定数不均衡問題とは、各選挙区の議員一人当たりの有権者の人口に大きな差異があり、その結果、有権者の一票の価値(選挙結果に与える影響力)に大きな差が出てしまうことを言う。

この問題について、我が国の最高裁判所は、投票価値の平等が憲法上要求であると解しつつも、これを公職選挙法204条による客観的訴訟と構成し、合憲性の基準について国会の大幅な裁量を認め、違憲と判断された場合でも、選挙の違法性を宣言するにとどまり、何らの積極的救済策を行っていない。

これに対して、アメリカ合衆国では、1960年代の連邦最高裁裁判所による一連の画期的判決を経て、連邦下院では人口格差1:1.01以下、州議会でも格差1:1.1程度という極めて厳格な一人一票原則を徹底すると共に、裁判所が「裁判官による選挙区制」をも含めた積極的な救済に乗り出し、この問題の解決が図られた事が知られている。

5 レイノズル対シムズと一人一票原則の確立
ベーカー判決後、連邦最高裁のは、「司法的に運用しうる基準」を打ち立てる義務が残っていた。議論をリードしたのは、Bakerで最もリベラルな補足意見を書いたダグラス裁判官である。ジョージア州民主党予備選よが争われたGray v. Sanders(グレイ対サンダース)で、同裁判官は法廷意見を執筆し、

「ただ単に田舎に住んでいるからとか、最も人口の少ない田舎のカウンティーに住んでいるというだけで、どうして全州規模の選挙で他の有権者の2倍、10倍の投票権を与えられる事に成るのか。

代表を選出する為の地理的単位が設定されれば、選挙に参加する者は人種・性別・職業・収入・住んでいる選挙区の如何に関わらず、等しい一票を有する。

独立宣言からリンカーン大統領のゲティスバーグ演説、そして憲法の修正条項に至るまでの政治的平等の概念は、ただ一つの事、すなはち、一人一票を意味する」と述べ、初めて一人一票の概念を明らかにした。

判旨 ウォーレン首席裁判官の法廷意見。

問題は、有権者の平等という基本原則からの逸脱を正当化する憲法上認められる原理が存在するかどうかである。立法者は人民を代表するのであって、樹木や土地を代表するのではなく、有権者に選出されるのであって、農場や都市や経済的利益によって選出されるのではない。平等保護条項は、全ての場所について、全ての市民が等しく代表される事を義務付ける。

二院制を採用する州議会の二院とも人口に基づき定数配分されなければならない。連邦議会についての規定を類推して、一院につき人口を無視した区割りを行う事は許されない。人口こそが議席配分の出発点であり、かつ決定的な基準である。

判旨 ブレナン裁判官の法廷意見。

一定の数値を基準として判断する事は、「実現可能な限り」各選挙区の人口を平等にしなければならないという憲法上の要件と相要れない。一定の数値以下であれば良いと言うのは、恣意的であり、立法者は「実現可能な限り」の平等ではなく、当確目標の数値を達成すれば良い事に有る。

何故、ブレナン裁判官らはこのような厳格な審査基準を維持し続けているのだろう。その理由は、選挙区制の合憲性を維持するに当たって、司法的に運用し得る基準は人口要素だけしかないと考えているからだ。

第4節 結論

「権利のあるところ、救済あり」これを反対解釈すれば、救済が与えられなければ、権利は絵に描いた餅に過ぎない、というのが英米の実践的な法学の考え方である。司法判断適合性を認め、憲法違反だと言いながら、救済を与えない我が国の最高裁は、アメリカ合衆国の19世紀から20世紀初頭の州裁判所に近い。

訴訟を通じて国民は行政の監視役に成り得るのであるから、行政訴訟を制限する法制度を改めるべきである。

2 基準

どの程度の格差が許されるか。日本の学界の多数は、格差1:2を越えれば、一人に2票与えた事に成るので、最大格差1:2という結論である。しかし、一人一票原則を、「一人を一人として扱い、以上にも以下ににも扱ってはならない」とすれば、一人に1.5票を与える事も許されない。

結局、法の論理の枠組みから、一定の限界を設ける事は出来ず、「実現可能な限り」の平等が正当である。